今日は少し起きるのが遅くなってしまいました。
というのも、次男が「豆まきなんてやだぁ」という寝言を言いながら身体に巻き付いていたからです。毎年、私や友人が鬼になっているのですが、迫真の演技をしすぎたためにすっかり怖がっているのです。
今年は友達に鬼の出前を頼むかどうか・・・そもそもやるのかどうか。考えながら記事を書いています。
さて、節分はなぜこの2月という中途半端な時期に行われるのか、というと「旧暦」の年末だからですね。私が明日をオープン日にした理由も、明日が立春で旧暦のお正月、また新しい芽が息吹き温かくなっていくにふさわしい日だと思ったからです。
真実、「春」が来るなと感じるのは、やはり立春です。
さかのぼると平安時代には宮中で「鬼やらい(追儺の儀)」として豆をまく文化がありました。古くは706年、文武天皇の時代にはその記述があるそうです。この時代の鬼というのは、何を表しているのかというと、「なにやらよくないもの」の総称です。一番イメージしやすいのは、疫病、天災。そして、飢饉等自分たちの想像の範囲を超えた不幸にたいして「鬼」という名前を付けて理解したのでしょう。
室町以降では、宮中行事だった節分の儀式は、民間にも広がり、豆をまくという文化も同時に広がっていきます。その頃にはすでに「鬼は外、福は内」という言葉を使っていました。そして、令和の世でも同じ言葉で「何か悪いもの」を払っていると考えると、1300年以上も続いている日本の文化的な感受性の高さに驚きます(そこに目を付けた各企業の販促力にも)。
鬼は、「なにやらよくないもの」の総称ですので、時代と共に姿を変えようとその存在自体が消えることはありません。「鬼滅の刃」でもありとあらゆる鬼がいたように、内に含んでいる悪いものが異なるから退治が難しいわけです。
さて、ここでアロマの出番ですね。
植物は複雑な成分構成をしています。ローズマリーひとつとっても、主成分が異なるために、ほぼ別の植物として分類する3種のローズマリーがあります。ラベンダーに至っては精油にすると7種類にもなってきます。そして、植物同時を組み合わせることによって、作用の相乗効果を狙うこともできます。薔薇の成分構成が複雑でいまだに全てを解明できないことも有名なくらい、植物とは「なにかよくわからない」けど「なんだかいい」ものの集まりとなっているわけです。もちろん、主成分分析がされて再現性がある以上、科学の土台に乗っかっているアロマテラピーなのですが、やっぱりはっきりと言えない部分があるからこそ、アロマセラピストは迷い、また、そこに魅力があるわけです。
「なんだかよくわからないけどよくないもの」に、「なんだかよくわからなけれどいいもの」というのはよく作用します。古来、そういうものです。
鬼が病であれば、感染症に強いアロマたちの登場です。鬼が「恐怖」であれば、トラウマを優しく包み込むアロマの登場です。鬼が天災なのであれば、避難所で役に立つアロマの登場です。
今年の節分は、玄関から入ってくる感染症や「よくないもの」を打ち払うために、ジュニパー・ティーツリー・ラヴィンツァラ・ローレルをブレンドしたスプレーで対抗してみてはいかがでしょうか?
きっと、鬼もいい香りに惑わされて退散することでしょう。
